年賀状博士がエピソードで綴る年賀状の歴史的事実と発達の経緯

エピソードで綴る年賀状の歴史3/4

私製年賀状スタート

まぼろしの私製葉書「今世少年」

明治33年10月に私製はがきが許可されることになり、出版社や印刷会社が競って絵はがき作りを進めた。私製はがきの第一号は「今世少年」という雑誌の付録として出版された「しゃぼん玉を吹く少年」とされているが、まぼろしとされていたこの葉書が数年前に発見され話題となった。発見された葉書は、翌34年の年賀用に使われたものだった。
(写真は、朝日新聞夕刊、平成17年6月24日紙面)


私製はがきが許可される事を知り、印刷会社は企業に宣伝用のはがきを作ることをすすめた。

巌谷小波と明治34年の年賀状

小波は明治33年に洋行して、絵はがきの本場であるドイツに滞在していたときのことである。10月よりいよいよ日本でも私製の絵葉書が発行されるということを新聞で見て、彼はたいそう喜んだ。うれしさと楽しさで首を長くして待っていると、次年の年始状として日本から絵葉書が山のように届いた。しかし、一枚一枚見てみると座のさめたものばかりで、ドイツの友人からは日本は山といえば富士山しかなく、鳥は雀しかいないのかと言われて一言もなかったそうである。

しかも印刷も悪く、紙も粗末で、はるばる太平洋を渡ってアメリカ経由で欧州まで届くまでに破れたり、擦れたりして、せっかく用意していたアルバムには入らないし、かといってゴミ箱に投げ込むのも忍びず、日本からの絵葉書もむしろやっかいなものと感じたと書いています。
(樋畑雪湖「日本絵葉書史潮」より)