年賀状博士がエピソードで綴る年賀状の歴史的事実と発達の経緯

エピソードで綴る年賀状の歴史1/4

エピソードで綴る年賀状の歴史1/4

文章構成/年賀状博士
知る人ぞ知る、年賀状研究家としての第一人者。年賀状を文化的側面から、或いはビジネスとしての側面から見る事が出来る希有な存在。その知識は多岐にわたる。

年賀状事始め

はがきで歳の始まりを祝う習慣は、洋の東西を問わず、1900年頃から盛んになってきました。日本では、明治6年に官製はがきが発行されて以来、年賀状の習慣は少しづつ増え続け、七福神や鶴、松竹梅などをテーマとしたデザインが主流でしたが、明治33年(1900年)私製はがきの取り扱いが始まり、一挙に年賀状文化が花開く事になります。

十二支が本格的に登場するのは丁度この時期です。官製はがきだと紙が小さいので民間でカラー印刷をするのは難しかったのが、私製はがきだと、大きな紙で印刷して断裁して仕上げられるため、当時の石版印刷やエンボスの技術を使って、美しい干支のはがきが数多く作られ、発売されました。

明治42年(1909年)が酉の年にあたりますので、写真のようにこの年の年賀状に発売されたはがきが、本格的なとりの年賀状(私製)の始まりということになります。100年以上の時を経て、今の私たちが見ても美しい、感性豊かなはがきとなっています。はがきの白い部分は細かいエンボス(浮き出し)加工が施され、まるで芸術品のようです。

年賀状文化の開花

年賀状といえば、日本固有の文化のように考えがちですが、欧米でもクリスマスカードやイースターを祝うカードと並んで年賀状も大変盛んな時期がありました。1900年前後、エンゼルや時計、カレンダーや四葉のクローバーなど様々なモチーフを使った年賀状が発売され、交換されています。年賀状レトロ美術館辰年特設展示場をご覧ください。

ただ、欧米では年賀状のブームは、習慣として定着せず、1920年頃を境に、ほとんどその姿を消し、クリスマスカードで年賀をかねる事が主流となっていきます。これは日本と比較して考えると、歳を十二支になぞらえる習慣のあるなしが、この文化の違いになってきたのは明らかであり、日本人の見立ての思想が年賀状文化を支えているといえます。

明治から、大正、昭和のはじめにかけて順調に伸びてきた年賀状も昭和16年の開戦とともに、一時期ほとんどがその姿を消してしまったのですが、戦後、昭和24年から発行され始めたお年玉付き年賀はがきとともに、再び息の長い文化として定着してきました。

日本から世界へ

1900年頃の古い年賀はがきを骨董市などで見ると、日本から海外へ、またヨーロッパから日本へのはがきを時々見かけます。投函から配達まで約40日を要していますが、12月の末に投函すれば、丁度旧正月の頃に先方に届く事になり、なんとなくつじつまがあって面白い限りです。

現在数多くの日本人が、海外で生活していますが、海外の知人、友人に年賀状を出す習慣はまだほとんどありません。そこで今回郵便事業会社の国際事業部が中心となって「海外年賀状」のキャンペーンを始める事になりました。お年玉付き年賀はがきに、20円切手をプラスするだけで、はがきが世界中に届きます。景品の受け取りなどいくつかの問題もありますが、プラス20円で海外へ、地球年賀状を楽しみたいものです。