●渡部家専業主婦の私と、会社員の夫、二人の小学生の娘で構成される、ごく普通の家族、ワタベ家の名物は、年賀状「寿新聞」です。毎年楽しみにしていますの声を多数いただき、プレッシャーながらもうれしいです。
16年前、私たちは結婚しました。挨拶状は個性的なものにしたいと頭をひねらせた結果、「寿新聞」なるものを作りました。私は社員、彼はアルバイトの大学生、当時は女性が6才年上というのも珍しかったので、スポーツ新聞のスクープ記事の体裁です。
そして、初めて二人で迎えた年越し。挨拶状の流れで年賀状も寿新聞を作ることになりました。前回は記事ひとつの号外でしたが、今回は新聞一面を作ります。働きの悪いパソコンで、よいソフトも持っていませんでしたから、それはそれは大変な作業です。何度も何度も失敗し、夜なべしたこと、今でもよく覚えています。
その苦労のかいもあって、寿新聞は大好評。高校時代の友人からは「年賀状大賞」の賞状葉書が送られてきました。確かな手応えを感じ、調子にのった私たちは毎年寿新聞を発行する決心をしたのでした。
紙面の構成は、まずメインの記事。事実を脚色して大げさな話しに仕立てたものもあれば、誰が読んでも嘘だとわかるでっちあげの記事のこともあります。後者では、娘が二人とも七三分けで生まれたため、特殊髪型研究所から表彰されたという記事が好評でした。
続いて、詐欺ネタ。その年にあった腹立たしい出来事をネタにしたもので、笑い飛ばして、水に流して、明るく年を迎えようというねらいです。
そして、広告欄。ひとつめは夫婦共通の友人、博史くんに向けた一行広告。これは、多くを語らないだけに博史くんを知らない人も興味深いようで、「あの欄を一番に読む」という人も多い、意外な人気企画です。
二つめは「ワタベであってワタナベではない」広告。結婚して渡部姓になってからというもの、とにかくワタナベと読まれることが多いのです。毎年掲載しているのに、漢字まで間違えて、宛名を「渡辺」でくださる方がいるので、広告としての効果は今ひとつのようですね。
最後は、送る方への手書きのご挨拶欄。ニュースが多い年はサブ記事が加わったりしますが、基本はこの形です。
メインの記事の担当者は大抵私で、他の記事やレイアウトは全て彼が担当しています。昨年までフルタイムで、冬休みなしで働いていたので、子育て・仕事・家事に追われる毎日。彼も残業・休日出勤あたりまえの会社。「もう寿新聞はやめて、普通の年賀状にしよう。」そう音をあげた年もありましたが、励まし合い、協力して作ってきました。
披露宴で「初めての共同作業」としてケーキカットしてからというもの、夫婦生活は共同生活の連続です。しかし、そのほとんどは目に見えないもので、だからこそ、感謝の心を忘れ、誤解してしまったり、すれ違ってしまったりすることもあるのではないでしょうか。芸術家でもない凡人の私たちが、こうして共同作業を形で残せるなんて、とても幸せなことです!
寿新聞で誕生の報告をした長女も、もう12才。寿新聞に4コママンガを描いてくれるほど成長しました。これからは夫婦だけでなく、家族の共同作業として、寿新聞を作って行けたら最高です。
震災のあった今年は、発行していいものか悩みましたが、あの「博史くん」は福島に住んでいて、苦しんでいます。今こそメッセージを届けたい時です。来年は日本に、「寿」な出来事がたくさんあるように、東北の復興を祈って作ろうと思っています。